知れば知るほど魅力発見!
大湫宿の豆知識として、是非観光の際にご参考頂けたらと思います。
ご紹介した観光知識を元に、大湫宿内を観光しても違う視点で、楽しめると思います。歴史と自然の両方を楽しめる観光に出かけませんか?
大昔、日本列島は海の底であった。その後、火山活動によって、隆起・沈降を繰り返しながら現在の日本列島ができた。その際、瑞浪市は、土岐川を境に北に中部山岳地帯、南に古瀬戸内海の海岸の位置となる。(化石博物館があり、土岐川沿いで貝の化石が出土することからも)その後、この大湫は、周りを小さな山に囲まれた盆地となり、水はけのよくない湿地(低湿地)となった。
(読み方)湫 や 久手・・・くてorぐて
(意味)大湫・・・大きな湿地
駅伝の制度(人や荷物を引き継いで送る仕組み)により、中継基地として宿(駅)が設けられた。これは、一般の旅人の利用を考えているのではなく、幕府公用による宿泊と官公物資の輸送のためのものであった。慶長9年(1604)、中山道の新宿として大久手宿が、その後、1615年に細久手宿ができた。宿場では、役所の「問屋場」が設けられ、輸送・宿泊・宿内の取り締まりの仕事をしていた。村としては以前からの大湫(宿)が、幕府関係では、大久手(宿)が使われた。
京都の町家の格子の種類の一つで、親子格子、あるいは子持格子などと呼ばれる格子です。
切子の数で、職業がわかるようになっています
窓の形式のひとつで、小幅の竪板をその竪板の幅だけ間隔をあけながら打ちつけた同形の連子を前後に二つ並べ、外側の連子を固定し、内側に連子を引戸として付け、この連子を左右に動かすことで開けたり閉めたりするようにした窓のことです。
無双窓は、「無双連子窓」といい「夢想窓」とも書かれ、単に「無双」ともいいます。
無双とは、表裏が同じもののことを指して言います。
<中山道大湫宿の道>